「身近で困っている人を、もっと支えたいから。」
「みんなで支え合う仕組みがあって、初めて安心できるから。」
「『困っている人のため』── ええ、ついでに、お金が届くまでの通り道にいる私たちの仕事もね。」── そこまで計算してる
同じ「賛成」でも、見ている世界はこんなに違う。
そして「困っている人のため」という言葉は、たいていいちばん深く読む人が考えて、いちばん何も知らない人に向けて作られている。
身近に介護や医療で苦しんでいる人がいて、もっと支えがあってほしいと感じたから。
自分や家族が制度に助けられた経験があって、これはなくしてはいけないと思ったから。
自分や家族が困ったとき、ちゃんと使える制度があったら助かるから。
公の支えが薄くなると、結局は自分の貯金や時間が削られると思うから。
困っている人を支えるのは、当たり前の社会のあり方だと思うから。
みんなで支え合う仕組みがあって、初めて安心して生きられると思うから。
支えの網は、落ちた人のためだけにあるのではない。網があるから人は思い切って跳べる ── 跳ぶ人の数が、社会の強さになる。
医療・介護・福祉の業界では、国の給付がそのまま売上の入り口になる。給付が増えるほど、仕事も組織も大きくできるから。
「困っている人のため」と言いながら ── そのお金は、困っている人に届く前に必ず団体や業界の手を通る。増やしたいのは、その手の中に残る分。
「弱い側に立てる人」でありたいから。
優しさや支え合いを大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「支える側に立つ自分」でいれば、減らす話をする人に「冷たい」という札を貼れる。優しさは、議論の武器にもなる。
いつ自分が、支えが必要な側になるか分からない不安があるから。
制度がやせていく将来の景色が浮かんで、不安だから。
身近の「もっと支えてほしい」という声に、うなずいてきたから。うなずいた回数だけ、それは自分の意見になっていく。
介護や病気の話で「大変だよね」と言い合う輪のなかでは、「でもお金はどうする」とは言い出しにくい。黙ることも、合わせ方のひとつ。
自分の給料から引かれる社会保険料が、どんどん上がっていく経験をしてきたから。
働いても働いても、自分の手取りが増えない経験を、長くしてきたから。
現役世代の負担がこれ以上重くなるのは、率直に嫌だから。
制度の取り分が大きくなるほど、自分の自由に使えるお金が減るから。
制度に頼りすぎず、自分でできることは自分で、と思っているから。
ぬるい制度は、結局は頑張る人の足を引っ張ることになると思うから。
支えの網は、現役の肩が下から担いで張られている。網を厚くし続ければ、先に破れるのは網ではなく、担いでいる肩のほう。
社会保険料は、会社が半分払う決まりになっている。給付が膨らむほど、人をひとり雇う重さが増していくから。
「将来世代のため」と言いながら、本当は自分の保険料と税金を、これ以上増やされたくない。その「みんなの節約」は、いつも自分以外のところから始まる。
「現実を見て判断できる人」でありたいから。
将来や次の世代を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「現実が見える自分」でいれば、手厚くしようと言う人に「甘い」という札を貼れる。冷静さも、議論の武器になる。
このまま給付を増やすと、自分の老後にお金が残らない景色が浮かんで、こわいから。※「不安だから動きたい」という感情のかたちは、賛成側とまったく同じ。向きが違うだけ。
働く人がどんどん減って、負担だけ増えていく未来が、不安だから。
給与明細を見て「引かれすぎ」と言い合う輪にいるから。輪のなかの言葉は、いつのまにか自分の言葉になる。
同世代と「払うばかりだね」と言い合うたび、あきらめの空気は濃くなる。その空気には、自分の一言も混ざっている。