「学費で進学を諦める人を、見たくないから。」
「どの家に生まれても、学ぶ機会だけは同じに。」
「『機会の平等のため』── ええ、ついでに定員割れで空いた教室も、税金で埋まりますしね。」── そこまで計算してる
同じ「賛成」でも、見ている世界はこんなに違う。
そして「機会の平等のため」という言葉は、たいていいちばん深く読む人が考えて、いちばん何も知らない人に向けて作られている。
身近に、学費を理由に進学を諦めた人がいて、それは違うと感じたから。
自分や家族が、学費の重さで進路を選びにくかった経験を、近くで見てきたから。
自分の子どもの学費がぐっと軽くなったら、率直にありがたいから。
教育費の負担が軽い方が、子育てを選びやすくなるから。
家のお金で人生の選択肢が決まるのは、おかしいと思うから。
どんな家に生まれても、学ぶ機会だけは同じに与えられるべきだと思うから。
才能は、生まれる家を選べない。学費の壁を外して、埋もれたままの才能を掘り起こした分だけ、社会は強くなる。
18歳の人口は減り続けていて、学生集めは大学の生き残りの問題になっている。無償化は、減っていく入学者を税金がつなぎ止めてくれる話だから。
「機会の平等」と言いながら、本当は学生が減って空きはじめた教室を、税金で埋めたい。救われるのが学生なのか学校なのか、看板からは見分けがつかない。
「学びを応援する人」でありたいから。
機会の平等を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「学びの味方」と名乗るのに、お金は一円もかからない。賛成と言うだけで、夢を応援する側に並べる。
学費が高すぎて、自分の子どもが進学できなくなる景色が、こわいから。
家のお金で人生が決まる社会が、さらに固定する未来が、不安だから。
「奨学金という名の借金」という話題に、ひどいよねと返してきたから。返した言葉の分だけ、無償化は正解に見えてくる。
親同士の集まりで、「学費つらいよね」にうなずかない選択肢は、ほぼない。うなずきの集まりが、いつしか世論と呼ばれる。
自分や家族が、頑張ってお金を貯めて学費を出してきた経験があるから。
大学に行っても、必ずしも力がついているとは思えない、という経験を見てきたから。
無償化のための税金が、結局は自分にも回ってくるのは、率直に嫌だから。
自分は子どもがいない/もう手が離れているのに、新しい負担だけ増えるのは、納得しにくいから。
学ぶ意欲のある人が進めばよくて、全員を税金で支える必要はないと思うから。
お金で苦労して進学する経験そのものに、価値があると思っているから。
無料にした瞬間、「そこで学ぶ価値はあるか」という問いが消える。問われなくなった場所の質は、ゆっくり下がっていく。
国の財布はひとつで、教育に新しく流れる分は、どこかから削られる。削られる側に立つ業界には、他人事ではないから。
「ばらまき反対」と言いながら、本当は教育に新しく回る分だけ、自分の負担が増えるのを避けたい。わが子の塾代は「投資」と呼び、よその子の学費は「ばらまき」と呼ぶ ── 線を引いているのは財布のほう。
「安易な配り物に流されない人」でありたいから。
規律や自分の足で立つことを大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「甘やかさない自分」と名乗るのにも、お金は一円もかからない。反対と言うだけで、苦労を知る側に並べる。
税金で配る制度が一度始まると、もう止まらなくなる感じが、こわいから。※「不安だから動きたい」という感情のかたちは、賛成側とまったく同じ。向きが違うだけ。
将来、自分の世代にツケが残る景色が浮かんで、不安だから。
「また配るのか、財源はどうする」という身近な口ぐせに、そうだねと返してきたから。口ぐせは、人から人へ移る。
「行く意味のない大学もある」という話で盛り上がる輪では、賛成とは言い出しにくい。輪の温度は、自分の相づちでも上がっている。