「結婚で姓が変わって、不便だって声を聞いてきたから。」
「自分の名前を選べることは、当たり前のことだと思うから。」
「『個人の自由のため』── ええ、ついでに、議論が続くあいだ集まり続ける支持と票もね。」── そこまで計算してる
同じ「賛成」でも、見ている世界はこんなに違う。
そして「個人の自由のため」という言葉は、たいていいちばん深く読む人が考えて、いちばん何も知らない人に向けて作られている。
身近で、結婚で姓を変えるかどうかでもめたり、不便を感じる人を見てきたから。
自分や家族・友人が、姓を変えたあとの手続きや仕事での不便を経験してきたから。
自分や家族が選べる方が、率直に楽だから。
仕事で築いてきた名前を変えなくて済めば、キャリアの面で得だから。
自分の名前を選べることは、人として当たり前のことだと思うから。
家族のかたちは一つではなくて、それぞれの事情に合うかたちを選べた方がいいと思うから。
選べたうえで名乗る同じ姓は、選べずに名乗る同じ姓より強い ── 選択肢は、家族をばらす道具ではなく、結び直す道具になる。
政党や運動にとって、これは「選べるべきだ」と強く言うほど、「私たちの味方」という熱心な支持が集まる議題だから。
「個人の自由」「人権」と言いながら、本当は困っている人の物語を支持と票に変えたい政治や運動がある。決まれば手柄、決まらなくても「まだ闘える」── 進まない議論ほど、旗としては長持ちする。
「自分らしくありたい」と思うから。
個人の自由や、いろいろな家族のかたちを大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
姓の話のはずが、どちらと言うかが「どちら側の人間か」の名札になっている ── 賛成は、考えの中身より先に、立ち位置を伝えてしまう。
自分や子どもが、姓を変えることで仕事や生活が止まる将来が、こわいから。
家族のかたちが一つしか選べない社会は、息苦しいと感じるから。
職場や友人のあいだでは「選べたらいいのにね」が当たり前で、自分も自然にそう言うようになったから。
「日本だけ遅れてるよね」の輪のなかで、「心配する人の気持ちも分かる」とは言い出しにくい。だまってうなずく自分も、その空気の一部。
身近の家族や親戚で、同じ姓を共有することに意味を感じてきた経験があるから。
自分や家族が、同じ姓で支え合ってきた経験を、大切にしてきたから。
自分や家族の暮らしが、今のままで成り立っているから、変える必要を感じないから。
制度が変わると、家族や子どもの手続き・関係がややこしくなる面があると思うから。
家族が同じ姓を名乗ることは、日本の家族のかたちとして大事だと思うから。
家族のまとまりや、子どもの「自分が誰か」という気持ちは、同じ姓で支えられていると思うから。
同じ姓という決まりは、迷わなくていいようにできた仕組みでもある。すべてを選べる家族は、すべてを自分たちで決め続けなければならない家族でもある。
政党や運動にとって、これは「変えさせない」と言い続けるほど、「守ってくれる側」として固い支持が集まる議題だから。
「家族」「伝統」と言いながら、本当は「守る側」の物語で保守の票を束ねたい政治や運動がある。変わらなければ手柄、揺さぶられるほど「いま守らないと」で票が固まる ── 進まない議論は、こちらの旗としても優秀。
「家族や日本のかたちを大事にする人」でありたいから。
家族の伝統を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
同じ名札は逆向きにも働く ── 反対と言えば「家族を大事にする側」。中身を話す前に、どの輪に入るかが先に決まる。
家族のかたちが急に変わっていく将来が、こわいから。※「不安だから動きたい」という感情のかたちは、賛成側とまったく同じ。向きが違うだけ。
子どもや家族の関係が分かりにくくなる景色が浮かんで、不安だから。
親や親戚の集まりでは「家族は同じ姓」が当たり前の前提で、自分もその前提のまま話してきたから。
親戚の集まりで「家族は同じ姓が自然だよね」と話がそろうとき、「選べてもいいんじゃない」とは言い出しにくい。話を合わせる自分も、その空気の一部。