「払う人が減って、もらう人が増えてるから。」
「みんなで少し我慢して、長く続く制度にした方がいい。」
「『制度の持続のため』── ええ、ついでに配る量を絞った分、払う側の私たちも軽くなるしね。」── そこまで計算してる
同じ「賛成」でも、見ている世界はこんなに違う。
そして「制度の持続のため」という言葉は、たいていいちばん深く読む人が考えて、いちばん何も知らない人に向けて作られている。
現役世代の保険料が、じわじわ上がっていく経験をしてきたから。
自分の周りに、現役世代の重い負担で疲弊している人を見てきたから。
自分の保険料負担がこれ以上増えるのは、率直に嫌だから。
自分の世代がもらえるかどうか分からない年金のために、払い続けるのは納得しにくいから。
もらう人が増えて、払う人が減るなら、もらう額を少し減らすのは自然だと思うから。
みんなで少しずつ我慢して、長く続く制度にする方が、結局は公平だと思うから。
年金は、湧き続ける泉ではなく、現役が毎月くみ続ける井戸。くむ人が減ったのに配る量を変えなければ、壊れるのは配り方ではなく井戸そのもの。
配る額が決まれば、集める額も決まる。給付を絞ることは、会社と現役が払う保険料を絞ることでもあるから。
「持続と公平のため」と言いながら、本当は予算を預かる側といま払う世代が、配る額を絞って身軽になりたい。「みんなで我慢」の割り振りは、言い出した側の我慢がいちばん小さい。
「現実を見て判断できる人」でありたいから。
将来や次の世代を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「数字で考えられる自分」でいると、反対の声が「情に流された話」に聞こえてくる。そう聞こえた時点で、半分勝った気になれる。
このままいくと、自分が高齢になったときに何も残らない景色が、こわいから。
現役の負担だけ増え続ける未来が、不安だから。
同世代の「どうせもらえない」という冗談に、笑って返してきたから。笑うたび、冗談は本音に近づく。
「上の世代は得をした」という話を、否定せずに聞き流してきた。聞き流すことも、空気への小さな一票。
身近で、年金だけで暮らしている高齢者が本当にギリギリでやっている経験を、見てきたから。
家族の高齢者が、減額されたら生活できなくなる経験を、間近で見てきたから。
自分や家族の老後の収入が減ると、率直に困るから。
自分も将来もらう側になるから、減らされるのは納得しにくいから。
長年払ってきた人に、きちんと渡すのは、当たり前の約束だと思うから。
高齢者の暮らしを支えるのは、社会の最低限のルールだと思うから。
年金は高齢者の財布で止まらず、その日のうちに町の店の売上になる。給付を絞れば、巡り巡って現役の給料袋も軽くなる。
高齢者相手の商売にとって、年金はお客さんへの仕送りのようなもの。減らされれば、真っ先に自分の店の売上が痩せるから。
「生活を守れ」と言いながら、本当はいま受け取っている額を、一円も動かされたくない。いちばん苦しい人を先頭に立てれば、余裕のある受け取り手も、その後ろで一緒に守られる。
「高齢者の側に立てる人」でありたいから。
約束や支え合いを大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「人の暮らしから考えられる自分」でいると、賛成の声が「冷たいそろばん」に聞こえてくる。そう聞こえた時点で、やはり半分勝った気になれる。
年金が一度減ると、また何度も減らされていく感じが、こわいから。※「不安だから動きたい」という感情のかたちは、賛成側とまったく同じ。向きが違うだけ。
自分や家族の老後の暮らしが、もたなくなる未来が、不安だから。
親の「これで暮らせと言うのか」という一言に、返す言葉がなかったから。
「お年寄りから取るなんて」という声の前では、減らす話は口に出しにくい。出さずにいるうちに、自分の立場も決まっていく。