「みんな元気だから、もう少し働けるはず。」
「寿命が伸びたら、もらう年齢も後ろにずらすのが自然。」
「『制度の持続のため』── ええ、ついでに渡す日を遅らせた分、払う側の私たちは軽くなるしね。」── そこまで計算してる
同じ「賛成」でも、見ている世界はこんなに違う。
そして「制度の持続のため」という言葉は、たいていいちばん深く読む人が考えて、いちばん何も知らない人に向けて作られている。
身近に元気な高齢者が多くて、まだまだ働けるはず、と感じる経験があるから。
自分や家族が、定年を過ぎても元気で働いている経験を、近くで見てきたから。
現役世代の保険料がこれ以上重くなるのは、率直に嫌だから。
もらえるか分からない年金のために、ずっと払い続けるのは納得しにくいから。
寿命が伸びたのだから、もらう年齢を後ろにずらすのは自然だと思うから。
みんなが少し長く働く方が、社会全体が回ると思うから。
年金は、下の段が上の段を持ち上げる組み体操に似ている。上が増えて下が減ったのに、形だけ昔のままなら、いつか壊れる。
保険料は給料から自動で引かれ、会社も同じ額を払っている。渡し始めを遅らせれば、その両方が軽くなる仕組みだから。
「制度を続けるため」と言いながら、本当は予算を見るお役所側や、いま保険料を払っている働く世代が、自分たちの負担を軽くしたい。「続いたか」の答え合わせは何十年も先 ── 負担の軽さだけは、いますぐ確実に手に入る。
「現実を見て判断できる人」でありたいから。
次の世代のことを大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「先の世代まで考えられる自分」の側に立てば、反対の声を「目先の都合」として退けられる。立ち位置が、そのまま武器になる。
このままいくと、自分が高齢になったときに年金が残っていない景色が、こわいから。
現役の負担だけ増え続ける未来が、不安だから。
「世界では遅らせる流れ」と聞くたび、そういうものか、とうなずいてきたから。
職場で「そりゃ長く働く時代でしょ」と言い合うたび、その空気は少し濃くなる。濃くしている一人は、自分。
身近に体を壊して、早めにもらえてようやく生活できている人がいて、これ以上は無理だと感じたから。
身近の高齢者が、想像以上に体力的に厳しい仕事を続けているのを見てきたから。
自分や家族がもうすぐもらえる予定だったのを、後ろにずらされるのは率直に困るから。
ずっと払ってきた前提が変わると、人生設計が成り立たないから。
長年払ってきた人に、きちんと渡すのは、当たり前の約束だと思うから。
ルールを後出しで変えるのは、社会の信頼を損なうと思うから。
「遅らせても働けばいい」は、働ける体と雇ってくれる職場がある人の話。その二つを欠いた人には、年金までの数年が、底の抜けた橋になる。
もらう年齢が上がれば、「そこまでの生活費は給料で」という話になる。長く雇い続ける重さは、会社側に回ってくるから。
「約束を守れ」と言いながら、本当は自分の番が来る直前の受け取りを、動かされたくない。「守れ」は、「私の分に手を付けるな」のいちばんきれいな言い方でもある。
「高齢者の側に立てる人」でありたいから。
約束やルールを大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「約束を守れと言える自分」の側に立てば、見直しを語る声を「血の通わない計算」として退けられる。こちらも、立ち位置がそのまま武器になる。
もらう年齢が一度上がると、また何度も上がっていく感じが、こわいから。※「不安だから動きたい」という感情のかたちは、賛成側とまったく同じ。向きが違うだけ。
自分や家族が、老後に生活できない未来が、不安だから。
家族の「70まで働けって言うのか」という一言に、反論する理由が見つからないから。
年金の話で「ひどいよね」と返すのは、その場の正解でもある。正解を返し続けるうち、それが自分の立場として固まっていく。