「給料から引かれる額、多すぎるから。」
「手取りが増えれば、人も会社も動き出すから。」
「『働く意欲のため』── ええ、ついでに、税率の高い私たちほど大きく返ってきますしね。」── そこまで計算してる
同じ「賛成」でも、見ている世界はこんなに違う。
そして「働く意欲のため」という言葉は、たいていいちばん深く読む人が考えて、いちばん何も知らない人に向けて作られている。
給料明細を見るたびに、引かれている額が大きすぎる、と感じてきたから。
働く時間を増やしても、手取りはそれほど増えない経験を、長くしてきたから。
手取りが少しでも増えるなら、素直にうれしいから。
自由に使えるお金が増えれば、家族にも自分にもいいことが回ると思うから。
働いた人の手元に、できるだけ多く残るのが当たり前だと思うから。
取りすぎると、頑張る気が失せて、結局は社会全体が弱ると思うから。
人は「いくら稼いだか」より「いくら残ったか」で、次のがんばりを決める。残る額が増えれば、社会の働く量そのものが増えていく。
収入が多い人ほど税率も高い。下がったとき、いちばん大きく得をする位置にいるから。
「働く意欲のため」と言いながら ── 意欲が増えたかどうかは、誰にも測れない。高い税率を払う層の手取りだけが、確実に増える。
「自分で稼ぐ人でありたい」と思うから。
努力や挑戦を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
減税に賛成と言うことは、「自分は支えられる側ではなく、稼ぐ側だ」という名乗りでもある。意見と自己紹介が、ひとつになっている。
働いても働いても、手取りが増えない不安があるから。
働く意欲が消えていく社会の景色が浮かんで、こわいから。
給料日の「なんでこれだけ?」というため息に、いちばん自然にうなずけるから。
手取りの愚痴の輪では、うなずくのがいちばん楽で、実際ずっとうなずいてきた。その心地よさも、すこし混ざっているから。
身近で、医療や教育や介護の現場が手薄になっていく話を、現場で聞いてきたから。
税金で支える仕組みがないと、自分が困ったときに頼れない経験をしてきたから。
自分は普通の収入だから、高い人にもう少し払ってもらった方がいいと思うから。
医療・教育・介護で公が支える方が、結局は自分の家計の安心につながるから。
収入が多い人ほど多く負担するのは、自然な公平さだと思うから。
強い立場の人が支えて初めて、社会の土台が保てると思うから。
同じ一万円でも、ぎりぎりの家計と余裕のある家計では重さがちがう。荷物は持てる力に合わせて分けたほうが、船全体は揺れない。
高い人への税が増えれば、税金で回る私たちの業界の予算が太くなるから。
「再分配を」と言いながら、本当は集める額が増えるほど、その配り先を決める自分の力が育つ。配る側は、いつでも配られる側より強い。
「社会の弱い側に立てる人」でありたいから。
公平さや支え合いを大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「高い人がもう少し」への賛成は、自分の財布が痛まない正義でもある。名乗りやすい正しさほど、疑われずに育つ。
社会の差が広がりすぎて、自分や家族が置いていかれる景色が、こわいから。※「不安だから動きたい」という感情のかたちは、賛成側とまったく同じ。向きが違うだけ。
公の支えがやせていく未来が、長い目で見て不安だから。
身近の「もうけている人がもっと払えばいい」という声に、自然にうなずいてきたから。
お金の話では「上がもっと払えば」と返しておけば外れない、という空気がある。その型に合わせている部分も、たぶんあるから。