「絞り続けて、地方も家計もやせ細ってるから。」
「国は家計と違って、自分でお金を出せる立場だから。」
「『成長と国民のため』── ええ、ついでに私たちの予算も。返す頃には、この席にいませんし。」── そこまで計算してる
同じ「賛成」でも、見ている世界はこんなに違う。
そして「成長と国民のため」という言葉は、たいていいちばん深く読む人が考えて、いちばん何も知らない人に向けて作られている。
身近で、財政を絞ったあとに地方や公共サービスがやせ細っていくのを見てきたから。
景気が冷えると、地元の商店や取引先が一気に消えていく経験をしてきたから。
国がお金を回して自分や家族にも回るなら、率直にありがたいから。
景気が回れば、自分の業界や仕事にも仕事が回ってくると思うから。
国は家計と違って、自分でお金を発行できる存在だと思うから。
困っているときに財布を絞るのは、いちばん間違ったやり方だと思うから。
借金の重さは、額の大きさではなく、経済の体の大きさで決まる。絞って体を縮めるほど、同じ借金がかえって深く食い込む。
国の予算が増えれば、その予算で食べている業界の仕事も、確実に増えるから。
「成長と国民のため」と言いながら、成長したかどうかの答え合わせは、何年も先で誰もしない。増えた予算は今日確実に手に入り、返す番が来る頃、受け取った側はもう舞台にいない。
「前向きに動く国でありたい」と思うから。
成長や挑戦を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「攻める側」に立てば、ためらう人を「縮こまる側」に置ける。賛成は、未来を信じる人の証明書にもなる。
このまま絞り続けると、国全体が沈んでいく景色が、こわいから。
自分の業界や地元が、やせ細っていく未来が、不安だから。
身近の「もっと出すべきだ」の輪の中では、自分の中の迷いも、口に出す前に小さくなっていくから。
気づけば、強気な見立てには安心してうなずき、心配な話は読み飛ばしている。その小さな選り好みも、流れの作られ方のひとつだから。
家計に借金を重ねた人が、最後は生活が壊れるのを身近で見てきたから。
身近で、借金の重さに耐えられず、暮らしが崩れた人を見てきたから。
国の借金のツケは、結局は自分や子どもの世代の税金で払うことになるのが嫌だから。
お金がだぶつくと物価が上がって、自分の暮らしが圧迫されると思うから。
借りたお金は返すのが筋だと思うから。
次の世代に重い借金を残すのは、無責任だと思うから。
国の信用は、氷の上の道に似ている。今日まで渡れたことは「明日も割れない」の証明にならず、割れる音は、割れる瞬間まで聞こえない。
お金を貸す側の商売は、国の信用とお金の価値が土台。そこが揺らぐのは、率直に困るから。
「将来世代のため」と言いながら、まだ生まれていない人は、何も頼んでいない。確かなのは、お金の価値が薄まらないとき、いちばん守られるのが「貸している側」だということ。
「地に足のついた現実を見る人」でありたいから。
規律や節度を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「数字を直視する側」に立てば、賛成する人を「夢を見る側」に置ける。反対は、大人の落ち着きの証明書にもなる。
国の借金がふくらみ続ける将来が、こわいから。※「不安だから動きたい」という感情のかたちは、賛成側とまったく同じ。向きが違うだけ。
いつか日本の信用が崩れる景色が浮かんで、不安だから。
「国の借金は山ほどある」という話を聞いて育って、疑い方のほうは、誰からも習っていないから。
借金を心配してみせるのが「ちゃんとした大人」という空気があり、うなずくたびに、自分もその空気を少し濃くしているから。