「ニュースで近隣の動きを見るたび、不安だから。」
「自分の国を守る組織は、ちゃんとした立場であるべきだから。」
「『国の安全のため』── ええ、ついでに私たちの予算もね。『隊員のために』から入れば、誰も反対できないので。」── そこまで計算してる
同じ「賛成」でも、見ている世界はこんなに違う。
そして「国の安全のため」という言葉は、たいていいちばん深く読む人が考えて、いちばん何も知らない人に向けて作られている。
ニュースで近隣の動きを見るたび、不安な思いをしてきたから。
災害のときに自衛隊に助けられた人を近くで見て、もっと頼れる組織になってほしいと思うから。
自分や家族を守る存在が、強い方が安心だから。
自衛隊が強いと、相手が手を出しにくくなって、結局は自分の暮らしが守られると思うから。
自分の国を守る組織を、ちゃんとした立場で置くのは、当たり前のことだと思うから。
平和は祈るだけでは続かない。準備しておくのが本当の責任だと思うから。
いちばん危ないのは、強い相手より「勝てそうだ」と思わせてしまう弱さ。備えは相手への脅しではなく、誤解の余地を消す作業でもある。
防衛の予算は一年で終わらない──装備も整備も訓練も、始まれば長く続く注文になる業界だから。
「国の安全のため」「隊員のために」と言いながら、本当は予算の全体を広げたい──誰も反対できない入口を通せば、装備も事業もあとから一緒に入ってくる。
「国を守る人を大事にする人」でありたいから。
自分の国の安全を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「守ってくれる人を大事にする自分」には、異を唱えにくい力がある──ためらう人を「隊員に冷たい人」の場所に立たせられるから。
何もしないと、いつ攻められるか分からない不安があるから。
不安を放っておくより、しっかり備えた方が落ち着くから。
災害のたびに「ありがとう」の空気がそろっていて、強くする話にも、そのままうなずきやすいから。
「隊員さんには感謝してる」のあとに「でも増強は別の話」と続けるには、ひと呼吸の勇気がいる。続けないまま、うなずいてきたから。
身内や祖父母から、戦争の苦しさを語り継いでもらった経験があるから。
自分の地域で、軍に頼る暮らしの危うさを、過去の話で繰り返し聞いてきたから。
自分や家族が、軍備の強化のために重い負担を背負うのが、率直に嫌だから。
軍備にお金を回す分、自分の生活や福祉に回るお金が減ると思うから。
日本は平和を旗印にしてきた国だから、その姿を大事にしたいから。
武力で守るより、対話や外交で衝突を避ける方が、本当の責任だと思うから。
強さで安心を買うのは、一回では終わらない。相手が強くなるたびに買い足しが要り、気づけば安心の値段は相手が決めている。
国の財布は一つ──防衛に厚く回る年は、福祉や教育で食べている現場の取り分が薄くなるから。
「平和主義」と言いながら、本当は防衛以外の予算の取り分と、その旗で集まる支持を手放したくない──軍備への反対は、自分の財布を守るいちばんきれいな言い方にもなる。
「平和の側に立てる人」でありたいから。
対話や落ち着いた判断を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「平和を選び続ける自分」には、声を荒げずに勝てる力がある──備えを語る人を「勇ましいだけの人」の場所に立たせられるから。
軍備が強くなった国が、結局は戦いに引きずられる景色が、こわいから。※「不安だから動きたい」という感情のかたちは、賛成側とまったく同じ。向きが違うだけ。
自分や家族が、知らないうちに戦いの当事者になる未来が、不安だから。
育った家でも付き合いのなかでも「軍備はこわい」が普通の感覚で、それを疑う場面のないまま来たから。
平和を願う集まりで「最低限の強化は要るかも」と言うのは、輪を乱す気がして言えない。その言えなさも、空気の一部。