「お返しももらえて、地方も助かるなら、いいじゃない。」
「自分の税金の使い道に、自分の意志を入れられるから。」
「『地方創生のため』── ええ、ついでに、寄付が町に届く前の取り分もね。通り道に立つのが、いちばん確実ですから。」── そこまで計算してる
同じ「賛成」でも、見ている世界はこんなに違う。
そして「地方創生のため」という言葉は、たいていいちばん深く読む人が考えて、いちばん何も知らない人に向けて作られている。
故郷や好きな町に、ささやかでも還元できる気がして、嬉しい経験があるから。
返礼品を通じて、地方の生産者の顔やストーリーが見えた経験があるから。
実質負担2,000円で、いろいろなお返しがもらえて、率直にお得だから。
自分の税金の使い道に「この町」「この用途」と、自分で意志を入れられる感覚があるから。
地方を応援することは、純粋に大事なことだと思うから。
税金は、本人の意志がもう少し反映されていい仕組みだと思うから。
国からの仕送りを待つ町は、待つのがうまくなるだけ。選ばれる競争に出た町は、自分の売りものを探し始める ── それが自立の入り口になる。
寄付が増えるほど、返礼品を作る側と仲介サイトには売上と手数料が立つ。商売として、やめる理由がないから。
「地方創生」と言いながら ── 寄付が町に届くのは、手数料と宣伝費と返礼品の代金を引いた残りから。応援がひとつ通るたび、通り道に立つ側の取り分が確実に生まれる。
「地方を応援する人でありたい」と思うから。
制度を上手に使える人、というふうに自分を見たいから。
「ただ取られるのではなく、選んで納める自分」は、一度味わうと手放しにくい。続けたいのは制度というより、その自分かもしれない。
税金がただ吸い取られていく感じが嫌で、せめて何かを取り戻したいから。
制度がなくなったら、楽しみとお得さの両方を失うと思うと、不安だから。
「え、まだやってないの?」と言われて、考えるより先に始めた口だから。
年末の「駆け込みで何頼んだ?」の輪に入るには、やっているほうが楽。その楽を選んだ自覚も、すこしあるから。
自分の住む街の財政が苦しくなって、サービスが減らされた話を、近くで聞いたから。
地方の役所が、返礼品の競争に振り回されているのを身近に見たから。
自分の住む街の税収が、別の地域に流れていくのは、率直に損だと感じるから。
街のサービスや公共施設が弱ると、結局は自分の暮らしに返ってくると思うから。
税金は、住んでいる場所のために使うのが筋だと思うから。
「お得だから払う」という発想は、税の本来の意味からずれていると思うから。
肉や魚という売りものを持つ町が勝つ競争は、売りものを持たない町を助けない。いちばん助けが要る町には、そもそも競争に出すものがない。
住民の数は変わらないのに、税収だけがよそへ流れていく。都市の役所にとって、出ていく一方の制度だから。
「税の公平」と言いながら ── 公平の声が大きくなるのは、出ていく税収が自分の街の痛みとして見えてから。公平という看板の奥に、街の財布を守りたい本音が座っている。
「公平さを大事にする人」でありたいから。
税の本来のあり方を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
返礼品の自慢が飛び交う場で乗らない自分には、「踊らされていない」という静かな誇りがある。反対は、その誇りの置き場にもなる。
このまま放っておくと、自分の街がさらに弱っていきそうで、こわいから。※「不安だから動きたい」という感情のかたちは、賛成側とまったく同じ。向きが違うだけ。
税金で動くべき仕組みが、お得さで選ぶ仕組みに変わっていく将来が、長い目で見て怖いから。
「あの制度はおかしい」という記事にうなずくことが増えて、それが入り口だったから。
批判にうなずきながら、得した人の話を聞くとすこしざらっとする。公平への怒りと、乗りそびれた悔しさの区別は、自分でもつかない時があるから。