「親戚の農家の苦労を、見てきたから。」
「食べ物を作る仕事は、国の土台だから。」
「『食料の安全のため』── ええ、ついでに、補助金の配り先を聞かれずにすむ静けさもね。」── そこまで計算してる
同じ「賛成」でも、見ている世界はこんなに違う。
そして「食料の安全のため」という言葉は、たいていいちばん深く読む人が考えて、いちばん何も知らない人に向けて作られている。
身近に農家の親戚や知人がいて、その苦労を見てきたから。
自分の故郷の田畑が、ひと夏で荒れていく経験を、近くで見てきたから。
いざ食べ物が足りなくなったとき、国内で作れる場所がないと困るから。
国産の食べ物の方が安心して買えるので、それを守ってほしいから。
食べ物を作る仕事は、国の土台だと思うから。
効率だけで判断できない、文化や景観や地域があると思うから。
農業は、止めてもあとでまた動かせる機械とはちがう。手放した土と人は、お金を積んでも、ひと世代では戻らない。
補助金は農家だけでなく、機械や肥料や流通など、取り巻く業界の売り上げにもなっているから。
「食料の安全」と言いながら ── この看板の前では、補助金の配り先を問う声が「食を軽んじる声」に変わってしまう。お金の流れを聞かれないこと、それ自体が一番の利益。
「地方や食を大事にする人でありたい」と思うから。
日本の食と地域を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「食とふるさとの側」に立てば、まず疑われない。守り方の中身を問う人より、「守る」と言う人の方が、善い人に見える。
世界が荒れたときに、食べ物が手に入らなくなる景色が、こわいから。
地方が消えていく未来が、不安だから。
「農家さんは大変だね」を、疑ったことがないから ── 疑わずにすむ意見は、まわりと同じ意見でもある。
実家の米をもらい、直売所の野菜をほめる暮らしの中で、「補助金は減らすべき」とは言いにくい。その遠慮ごと、自分も空気を支えている。
身近に農業を継ぐ若い人がいなくて、補助だけ続いている経験を、見てきたから。
自分の地域で、補助に頼った仕組みが結局はやせ細っていくのを、見てきたから。
国産だけだと値段が高すぎて、家計が苦しくなるのが嫌だから。
税金で支える農業の負担が、自分や家族にも回ってきていると感じるから。
補助に頼る仕組みは、本当の競争力を弱めると思うから。
強い農家や新しい挑戦が伸びる仕組みに変えるべきだと思うから。
枯れない程度の水やりは、根を深くしない。守られながら細っていくより、市場に根を張らせた方が、結局は残る。
市場が開けば、大きく作れる会社と安く仕入れたい側に、新しい儲け口が生まれるから。
「改革」「消費者のため」と言いながら ── 市場を開けと言う側は、開いた市場で真っ先に土地や作物を買う側でもある。「みんなのため」は、安く仕入れたい側の言葉にもなる。
「現実を見て判断できる人」でありたいから。
効率や挑戦を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「古い仕組みと闘う自分」は、闘っているあいだ、ずっと新しい側にいられる。倒す相手がいるうちは、自分の答えまでは問われない。
補助に頼り続けた農業が、結局は崩れていく未来が、こわいから。※「不安だから動きたい」という感情のかたちは、賛成側とまったく同じ。向きが違うだけ。
変えられないまま、農業も地方もやせ細っていく景色が、不安だから。
職場の「農業って税金で持ってるんでしょ」という軽口に、笑って返してきた自分がいるから。
数字で語る仲間の前で、「でも田んぼには値段のつかない値打ちがある」とは言い出しにくい。黙った分だけ、改革の空気は濃くなる。