「議員の数、多すぎるって声を聞いてきたから。」
「政治家も身を切るのは、当たり前の責任だから。」
「『身を切る改革のため』── ええ、ついでに、切られても痛まないうちの優位もね。」── そこまで計算してる
同じ「賛成」でも、見ている世界はこんなに違う。
そして「身を切る改革」という言葉は、たいていいちばん深く読む人が考えて、いちばん何も知らない人に向けて作られている。
身近で「議員の数は多すぎる」「お金の使い方が見えない」という不満を、ずっと聞いてきたから。
自分の業界でも「無駄を減らす」のは当たり前に進められているのに、政治だけ進まないのが変だと感じてきたから。
議員にかかる費用が減れば、自分の税金の使い道も少しはマシになると思うから。
無駄に大きい仕組みは、結局は自分の負担になって返ってくると思うから。
政治家も身を切るのは、当たり前の責任だと思うから。
少ない人数で、ちゃんと議論して決める方が、本来の政治の姿だと思うから。
人数が多いほど、一人ひとりの責任は薄まる。数を絞れば「みんなで決めた」に隠れられなくなり、決められない政治が変わっていく。
大きな政党にとって、削減は人気取りと勢力争いの両方で得になるから。減らして困るのは、たいてい自分たちではない。
「身を切る改革」と言いながら、本当は切られても痛まない側が言っている。消えるのは小さな勢力の議席で、残った力は大きな政党に集まる ── 痛みを見せて、取り分を増やす削り方もある。
「現実を見て判断できる人」でありたいから。
改革や合理性を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
「議員は減らせ」と言うあいだ、自分はどの既得にも乗っていない側に立てる ── 反対しにくい正義は、名乗るだけで強い。
政治の無駄が、いつまでも変わらないのが、こわいから。
決められない政治のまま、国全体が沈んでいく未来が、不安だから。
「議員は多すぎる」は、職場でも飲みの席でも、まず反対されない話題で、自分も気軽に乗ってきたから。
政治家の話では、けなす側に回るのがいちばん安全で、「議員の仕事は案外多い」とは言い出しにくい。安全な側で笑うことも、空気のうち。
身近で、地元の声を国に届ける議員のおかげで、地域の問題が動いた経験を聞いてきたから。
自分の地域に議員がいなくなると、地方の声が届かなくなる経験を、近くで見てきたから。
議員が減ると、自分や地元の声が国に届きにくくなるのが、率直に嫌だから。
議員一人当たりが背負う住民の数が増えると、自分の声が薄められると思うから。
いろんな立場の人が議員でいる方が、民意のかたちに合っていると思うから。
数を減らすと、強い勢力ばかりが残って、少数の声が消えてしまうと思うから。
議員の数は、民意をすくう網の目の細かさでもある ── 網の目を粗くして消えるのは、いちばん大きな声ではなく、いちばん小さな声から。
現職や小さな政党にとって、議員の数の話は、そのまま自分の居場所の話だから。守る理屈には、自然と熱がこもる。
「多様な民意」と言いながら、本当は自分の議席を守りたい現職や政党の側がいる。「民意」は自分の椅子のいちばんきれいな言い換えで、盾にすれば誰も正面から切れない。
「少数の声に耳を傾ける人」でありたいから。
多様な民意を大事にする仲間と、考えを合わせたいから。
反対と言えば「数の力に流されない自分」でいられる ── 守っているのが民意なのか自分の側なのかは、名乗りのなかでは区別がつかない。
議員が減ると、自分の声がもっと届かなくなる未来が、こわいから。※「不安だから動きたい」という感情のかたちは、賛成側とまったく同じ。向きが違うだけ。
大政党だけが強い社会で、少数派が押しつぶされる景色が、不安だから。
地元では「これ以上うちの地域の議員を減らされたら困る」が合言葉のようになっていて、自分もそう言ってきたから。
地元の集まりで「減らせば得をするのは都会と大きな党」とうなずき合うとき、「数より働きの話では」とは言いにくい。そろったあいづちが、空気を固めていく。